きらきらおじゃんぷ

優秀なATMへの道

わたしの山田担歴史





早いものである。




山田涼介を応援するようになって8年。

自分の年齢の半分以上をひとりの人間を追いかけているからおもしろい。



実をいうと、なぜ山田涼介が好きになったのかよく覚えていない。



KAT-TUNの赤西担だった母の影響で幼い頃からジャニーズ英才教育を受けていたので彼らを知るきっかけというのはどこにでも転がっていた。

いつしか気付いたら山田担だったのである。



はっきりと記憶にあるのは山田涼介がHey!Say!JUMPとしてデビューしてからのこと。

その時わたしはまだ小3(若い)。

「山田くん、デビューするんだ!」とドキドキが止まらなかったのを覚えている。


翌年、初めてのコンサート。

この出来事がわたしの人生を変え、ある意味狂わせる。

チケットを取ってくれた友達(のママが当時有岡担だった)の家でUMPをMVを観て心を踊らせた。

横浜アリーナ、席は前から2列目。

今考えると惜しいくらいの神席。

初めて目にする「山田くん」の姿は、感動を通り越して衝撃的だった。

「山田くんってホントにいるんだ」と騒いでいたらしい(母談)


その後ファンクラブへ入り、毎シーズン開かれるコンサートへ通うようになった。

ご存知の通り当時のHey!Say!JUMPは春夏秋冬コンサート、コンサートが終わったらコンサートというアイドルだったのでこのサイクルがわたしを山田沼にはめていった。

下校のチャイムと共に駆け出し、CD屋でファーストアルバムを手にした小6の七夕のことは忘れない。


中学受験の勉強(結局右腕を骨折して挫折する)もあり一時彼らから離れた時期もあったが無事(?)に復活、進学した地元公立中のゆるい環境の下で日々ヲタとしてのスキルを上げていった。


だがその中学の雰囲気もあり、Hey!Say!JUMPのファンだとはあまり公言せずに(好きなアーティスト欄に書く程度)親しい友人にはなりふり構わずジャニヲタを炸裂させていた。


その頃やっていた交換ノートがまだ手元にあり時折見返すのだが、ここぞとばかりに魂レポが2ページ以上に渡り書いてあり、ジャニーズに全く興味のない友人に申し訳なくなった。


日々の番組チェックに加えPCでファンブログを漁る生活が変わったのは中3の時である。


文明の利器スマートフォン

並びに


T  w  i  t  t  e  r


を手にするのである。


なぜ改行し、わざわざスペースを間に挟ませたのかはわたしを少し知る人間なら察してほしい。


その


T  w  i  t  t  e  r


というツールは当時山田熱を発散する場所のなかったわたしにはうってつけのもので、即のめりこんだ。

奇しくも受験生の頃のことである。


無事に高校に進学したころにはアカウントは二桁までになり、その数は今でも増えている。


高校生になったわたしはもう自由の身となった。

なぜなら女子校だからである。


やはりそこには言うまでもなく同種の人間が多いため、居心地は最高。

これから受験生になるそこのあなたには是非女子校をオススメしたい。


そのジャニヲタの温床でぬくぬくとヲタ活をし今に至る。




特記してないがほぼ全てのコンサートに参戦し、遠征もしている。

俗にいう「ガチヲタ」。






そんなわたしが今三ヶ月の山田禁をしているのだから驚きだ。




留学及び山田禁、それを乗り越えて何かを得たらまた書こうと思う。