きらきらおじゃんぷ

優秀なATMへの道

ジャニヲタが望むこと

前回のブログを投稿し、フォロワーの皆様から様々な感想をいただきわたしがツイートした中にこんなのがある。




早打ちの乱雑さと悲しいほどの語彙力のなさ、そして誤字脱字が露わになっているが、わたしが山田涼介に求めているのはこれなのだ。

多くのジャニヲタを含むアイドルヲタが望んでいるのはおそらくこれなのだ。


「自担はみんなのものであってほしい」




どんなお似合いカップルでもその片方を見るだけで相手の顔が浮かんでしまう。
芸能人でも、友達でも。

最近の例で言うと向井理国仲涼子
毎年集計される「結婚したい男ランキング」でトップ3をキープし、毎年必ずランクインしていた向井理
だが2015年、彼は突如としてランキングから姿を消したのだ。

「 結 婚 し た か ら だ … !」

わたしは日課であるYahooトピックスのチェックでこれを見たとき鳥肌がたった。

世間のオトナもわたしたちジャニヲタと変わらないのだ!

なんということだろう。


ほんとうに自分のモノにしたいわけではないのに、「ああこの人はあの人がいるから」というだけでこっちサイドのモチベーションが下がってしまうのだ。

別に全然好きでもない異性なのに、その人に彼女や彼氏がいると知ったとき謎のショックを受けるあの感覚。


 
わたしたちはジャニーズ・アイドルに非日常の輝きを求める。

そこに彼らの本当の部分が見えてしまうとダメなのだ。

担当たちの愛の矢印(書いてて恥ずかしい)がこちらを向かないことなどとうにわかっているものの、それが誰かに向けられていると思うとどうしようもなくやるせない。

頭では理解していても本能的な何かが理想の相手を求めてしまうのかもしれない。

リトラでアイドルの恩返しが大ブーイングをくらった根底にはこれがあると思う。

自担の行動や仕草、言葉が誰かのためなのはとても耐え難い。





今でも覚えている。

小5の夏、パソコンを開きいつものように山田涼介と検索し、そこに出てきた【山田涼介 西内まりや】をクリックしてしまったあの日を。

信憑性のありなしなど通じない若いわたしにその記事は重かった。
DVDや録画を再生しながら「山田くん」に見え隠れする彼女の影を払拭できず悩んだものだ。
5年たった今もわたしはそれを引きずっている。
(現にわたしは西内まりや恐怖症)




スキャンダルが出たところで彼を追いかけるのを辞められればまだいいが、わたしはおそらく、というかほぼ確実にできない。
悲しいが「山田…カッコいい…でも誰かのものなのね…」と泣くのが関の山だ。


奇跡的に山田担は(西内まりやさんの一件以来)大きなスキャンダルに出くわしていないので、わたしのようなヲタは多いような気がする。
(しかも山田はラブドラマヴァージンというのもありなおさら)

そんなこと言いつつこっちもこっちで普通に恋愛してる()のに。
理不尽でごめんね山田。





(やるなら徹底的にわたしたちの見えないところでやってね)